0905ashiのブログ

毎回オリジナル写真を一枚掲載し、それにまつわる自分の思いやエピソードを書き記します。写真版絵日記のようなものです。

眼は、口ほどにモノを言う。

一枚の風信子229

目力(めぢから)とは目の表情や視線が相手に与える印象である。 目力の強い人は、意思や内面的に強そうに見える [独自研究?]。 また、目力とは人の精神状態そのものでもあり、楽しい気分の時は強まり悲しい気分の時は弱まると される。〈Wikipedia〉

猫と犬の違いは、いろいろと言われているが、「目力」をあげる人はそんなに多くはないだろう。瞳そのものに力を感じるのは、圧倒的に猫の方。わが家の元ノラちゃん「五郎丸」君も、半端じゃない。まさに、肉食系の獲物を狙うハンターの眼。気の弱いものなら、眼力で金縛りにされちゃうんじゃないかと思うほど。何か気に入らないときに、やにわに振り向いて、手首あたりにガっと牙をたてられると、思わず手を引いてしまうほどの迫力がある。特に、黒い瞳が凸レンズのように細くなると、すごいね。まさに、一匹の野獣。豹かライオンの子を飼っているみたいだ。これが、普段は「にゃぁーん」と甘え声を出して足元に身体をすり寄せてきたりするのだから、ホントに不思議な生き物だよね。
唯我独尊、独立独歩。マイペースこそ、彼らの生きる道。何ともうらやましい限りでもある。

「なめんなョ」とひと睨みされて、一枚パチリ。

ほめられて、けなされて、調理40年。

一枚の風信子228

30歳のころから、台所に立ち続けて料理を作っている。たいていは、小料理屋で出すような小皿が多く、5~6品はそろえる。40歳過ぎには懇意にしていた魚屋に頼み込んで、簡単な実習訓練をして経験保証をもらい、調理師の免許も取った。実際に、プロとしても給料を稼いだこともある。今年で、40年を迎えることになった。何が料理のコツかと問われれば、迷わず「自分の舌」と答える。酒飲みで食いしん坊だった父親の酒の肴に、幼少時から慣れ親しんだのがいちばんだと思っている。成人してから、有名な料亭などで酒食することがあっても、その味に驚くようなことはあまりなかった。たいていの物(特に海産物)は、ガキのころに食べていたからだ。最近変わったことといえば、食材の選び方かな。以前よりも「旬」にこだわるようになり、野菜などは地元産のフレッシュな物を買うようにしている。常に変わらないのは「安くてうまいものを作る」こと。
「猫ボランティアのおばあちゃん」へのテイクアウトも、そろそろ1年が経とうとしている。とても褒め上手な人で、この前は「私が長生きできるのは、いただいた料理のおかげです」とカミさんに言ったという。その一方では「本当に免許持っているの?うまくないね」と面と向かってけなされたことも、一度ある。味覚ってヤツも、人さまざまだね。

見た目の美味しさをねらった小料理を、一枚パチリ。

手のひらに、小さな愛。

一枚の風信子227

自宅を持って最初に考えたのが、家族の増員だった。といっても、子づくりではない。ペットを飼うことだ。今はOKになったが、入居して10年くらいはペット禁のマンション
だった。で、小鳥くらいならということにして、ひっそりと飼い始めたのがインコ。以来セキセイインコ・文鳥・コザクラインコの3種をヒナの時から育てるようになった。最初に飼った2羽は、スーパーの小鳥売り場で手に入れたセキセイインコだったが、いずれも短命だった。トットと速足で歩く「トッティ」は一週間で、まっ黄色の「たんぽぽ(ポピー)」は1カ月も生きられなかった。ポッピー!と自鳴する声がせつなく、耳に残る。手のひらを巣と思いこみ、身体を丸めて眠った文鳥の「フー」ちゃん。芸達者のコザクラ「鈴(スー)」は、嵐の日に窓の隙間から飛び去って行った。合唱好きな「サファイア(アイ)」は、出勤する私の肩に乗って外出し、そのままもどらなかった。急いでいる時は駆け足だった「クイナ」。私のギターに合わせて歌い踊っていた陽気な「ポパイ」は、天寿を全うした。現在の「桃太郎(タロー)」は、やたらに自衛意識が強く、考えるより先にクチバシが出る元気者だ。
みんな小さいけれど、それぞれの命にそれぞれの個性を色濃く刻んで、私たち夫婦の日常に潤いをもたらしててくれた。手のひらに乗る、あたたかな愛をありがとう。

「私を、ぼくを忘れないで」と言われているようで、一枚パチリ。