0905ashiのブログ

毎回オリジナル写真を一枚掲載し、それにまつわる自分の思いやエピソードを書き記します。写真版絵日記のようなものです。

向こう側のことは、誰も分からないんだからさ。

一枚の風信子48


死を除いて、この世に絶対はないと思っている。
宗教はあると力説する。この世だけではない。あの世のことまでいろいろと解説し、頼みもしないのに面倒まで見てくれると言う。だから、信用しない。


ある高名な新興宗教の勧誘員の言葉として知られる、三題噺を紹介しよう。
信者が事故に遭ったが、幸い軽症で済むと、「教祖様がお守りしてくれたんだ」と言う。
つぎに、もっとひどい怪我を負うと、「教祖様のおかげで死なずに済んだ」と言う。
最後に亡くなってしまうと、「教祖様が極楽浄土に導いてくれる」と祝福する。
「死んだら終わりさ。死まで道具にされちゃ、本人も浮かばれないよ」と考えるのは私だけだろうか?


写真は、神社の祠(ほこら)にかかっていた紙垂(しで)である。その向こう側は神聖な領域として、そのままにしておくべきじゃないかと思う。


紙垂(しで)とは、注連縄や玉串、祓串、御幣などにつけて垂らす、特殊な断ち方をして折った紙である。単に垂とも表記し、四手とも書く。注連縄に垂らして神域・祭場に用いた場合は聖域を表す印となる。また、相撲の横綱は、横綱土俵入りの際に紙垂を垂らした綱をつける。〈Wikipedia〉