0905ashiのブログ

毎回オリジナル写真を一枚掲載し、それにまつわる自分の思いやエピソードを書き記します。写真版絵日記のようなものです。

思わず腰が引ける、 立川の吊り橋。

一枚の風信子11



私の地元、立川市の根川緑道の散歩コースに、小さいけれど立派な吊り橋がある。
「根川貝殻坂橋」という総天然木造りのその橋は、実に凝った造りが人目を引く。引退した宮大工さんがお金をたくさんもらって、自分の趣味で好き勝手にこしらえたみたいな感じ。時代劇の舞台としてなら、いいかもしれない。京都の舞妓さんが和傘をさして歩いたら、よく似合うだろうなと思った。
だけどさ、こんな風雅な佇まいの橋が必要というのかしら?たかが散歩道の一角に。


高さに怖じけるのではない。実際、高さは2階建て程度で、流れもチョロチョロだ。橋そのものが、周りに較べて立派過ぎるから腰が引けちゃうのだ。私のような一般庶民が歩いて渡っていいのだろうか。まさか、土足厳禁なんて書いてないよネ。
その昔、岡本太郎さんという有名な芸術家が「座ることを拒否する椅子」という作品を
つくったけれど、こちらの方は「渡ることをためらわせる橋」と呼びたいほど。立川市はこんな税金の使い方をしているんだなと、妙な感心をした。「馬子にも衣装」という言葉だってあるにはあるけれど、違和感が過ぎるとミスマッチ。「適材適所」でしょ、やっぱり。ま、ほとんどの人は、こんなこと気にしないで渡っていますがネ。


芸術的な橋を、及び腰で一枚パチリ。

ぼくのふるさとは、 児童唱歌だった。

一枚の風信子10



団塊世代の真っただ中、昭和22年に川崎の京浜工業地帯の外れに生まれ育った私には、心に残るふるさとがなかった。


モノ心がついたころには「柿に赤い花咲く いつかのあの家」は一軒もなく、「菜の花畑に 入り日薄れ」も見たことはなかった。「春の小川は さらさら行くよ」はただのどぶ川だった。「吾は海の子 白波の」海は泳ぐどころじゃなく瀕死の状態だったし、「夕焼け小焼けの 赤とんぼ」はスモッグを嫌ってどこかに行ってしまっていた。


「夏休み」の終わりはだれもが憂鬱になるものだが、私の場合はとりわけていやだった。
宿題の日記と工作がまったくできないのだ。もしも田舎があったなら、野山で昆虫を捕らえたり、海や川で泳ぎを覚えたり…ただただ楽しく遊ぶだけで、両方ともたやすくできてしまうのに。「今日は、庭先の竹で小さなカゴを作りました。カミキリ虫をつかまえて入れました。カゴは、宿題の工作として持ってゆきます」といった具合にネ。


で、始業式のその日は、これでもかというくらい「ふるさとみやげ」を見せつけられることになる。まず顔がうらやましいほど黒い。「野外で思いきり楽しく遊んだ」と、身体がそう言っている。見たこともないような虫の標本や宝石のような貝殻の工作が追い討ちをかけてくる。夏のピカピカ冒険談を聴かせられるころには、ため息すら出なくなっていたものだ。


菜の花畑に、児童唱歌を思い出して、一枚パチリ。

憧れの君から、 「ゲッタウェイ」した日。

一枚の風信子9




俳優の性格と監督の持ち味が一致すると、その特性がスクリーンに鮮明に現われることがある。主演 スティーブ・マックィーン、監督  サム・ペキンパーで制作された「ゲッタウェイ」がそれ。


銀行強盗をしたマッコイは、ギャングに渡すはずの金を持って逃走した。彼を追うギャングをかわしながら、マッコイは妻と共にメキシコをめざす……。スリリングなチェイスが全編に渡って展開するペキンパーの快作アクション。マックィーン、マッグローだけでなく、傍にいたるまで役者陣の個性が光る。特に、フェロモン撒き散らし状態の悪役A・レッティエリの存在感は驚異的。ラスト・シーンのサスペンスも、この手の映画を見慣れた人には嬉しい驚きである。<allcinema>


マックィーンお得意のハード・アクションが売りのハードボイルド映画である。確かに、スリルとサスペンスに満ちていて、すごくおもしろい。彼自身の要望で変更させたというハッピー・エンドを除けば、辛口の良質バーボンを味わっているようだ。「ネバダ・スミス」「ブリット」「華麗なる賭け」など、甘ったるいヒーローばかりを好んで(?)演じてきた彼の最高主演作だと思う。ただ、ペキンパーは並みの監督ではない。俳優の演技をそのままほっておかずに、その人間の素の部分までをさらけ出してしまったのだ。
「いくら恰好が良くたって、非情なヤツさ。それでもいいのかい」。
監督はこの映画の全編を通して、そう言っているように思われた。
主人公のマッコイに、マックィーンの実像が重なった。


「百年の想い」が冷めた映画のワンシーンを、一枚パチリ。